国家の存亡より「財政黒字」を優先する思考回路 財務省で伝承されてきた「財政規律の大原則」
では、齋藤氏(そして財務省)が想定する「財政規律」とは、何であろうか。彼は、次のように書いている。
(中略)
私も予算査定の際には、主計局の上司や同僚にしょっちゅう議論を吹っ掛けられていました。そうやって厳しく教育されながら、大蔵官僚たちは「財政規律の大原則」を脈々と受け継いできたわけです。
驚くべきことに、財務省が脈々と受け継いできた「財政規律の大原則」とは、「財政の黒字化は当たり前のことでなければならない」ということだと齋藤氏は証言したのである。
欧米諸国にも財政規律は存在するが、すでに述べたように、その指標は、政府債務残高の上限であったり、あるいは対GDP比で見た財政赤字の比率であったりと、一定の財政赤字が許容されている。「財政の黒字化は当たり前のことでなければならない」などという発想はない。
それも当然である。なぜならば、財政の黒字を当たり前のことにするのは、極めて難しいだけではなく、そもそも、望ましいことではないからだ。
財政黒字は「バブル」の発生と表裏一体
簡単に説明すると、次のようになる。
まず踏まえるべきは、世界中の政府及び民間主体が、すべて「黒字化」することはできないということである。言うまでもないが、誰かの債権は、別の誰かの債務である。誰かが収支の黒字を計上すると、その裏で、別の誰かが赤字を計上しているというわけだ。
したがって、一国の経済を「政府部門」「民間部門」「海外部門」に分けると、収支は次のようになる。
「政府部門の収支」+「民間部門の収支」+「海外部門の収支」=0
この式からわかるように、「政府部門の収支」の黒字を当たり前にするということは、「『民間部門の収支』+『海外部門の収支』」の赤字を当たり前にしなければならないということになる。
ちなみに、「海外部門の収支」の赤字とは、経常収支の黒字のことと考えてよい。
さて、日本経済の場合、「海外部門」の占める割合は比較的小さいので、いったん除外して考えると、財政黒字が当たり前であるためには、民間部門の収支が恒常的に赤字でなければならない。
すなわち、企業や家計といった民間主体が、全体として、つねに債務超過でなければならないということだ。
そういう経済状況が何を意味するのか。それは、バブル景気である。
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