昭和の世代が「四日市」と聞いて思い浮かべるのは、「公害の街」の印象だろう。日本は高度成長が続いた1960年代から70年代にかけて、全国各地で工場などから排出される金属類や廃液、ばい煙などを原因とする公害病に悩まされた。そのうち4大公害病と呼ばれたのが、熊本県水俣市不知火海沿岸での水俣病、新潟県阿賀野川流域での新潟水俣病、富山県神通川流域でのイタイイタイ病、そして三重県四日市市での四日市ぜんそくだった。
四日市は伊勢湾の北西岸にある。天然の良港といわれ、古くから漁業や交易が盛んに行われた。安土桃山時代には九鬼水軍で名を馳せた九鬼嘉隆が治めたが、江戸時代には天領となり東海道の宿場町「四日市宿」としても栄えた、「人の集まる街」であった。
戦後は中京工業地帯の中核を担う工業都市として位置づけられた。海水浴場はなくなって、護岸には貨物船を横着けできる港が整備され、石油化学コンビナートの工場群に生まれ変わった。
だが、周辺環境への配慮に欠ける開発の後、この街には「公害の街」というレッテルが貼られる。67年に公害病患者らが提訴、72年7月に被告の石原産業、中部電力など6社に立地上の過失、注意義務違反などの有罪判決が出た。
その後、産業構造が変化する中で、石油化学製品を中心とした製造業は大きな影響を受けた。工場労働者は減少し、JR関西本線のJR四日市駅周辺では、かつて栄えた商店街のシャッター通り化が深刻な問題となっている。
名古屋のベッドタウンに
現在、人口は31万人を超え、市は環境問題に配慮した「環境先進都市」を標榜している。一方で中心部は廃れ、住宅が郊外に拡散するドーナツ現象も生じた。そして郊外に住む多くの市民は、工場にではなく近鉄名古屋線で名古屋に通勤するように。近鉄四日市駅から同名古屋駅までは特急を使えば35分前後、急行でも40分程度。交通の利便性があだとなり、ベッドタウン化が顕著になった。
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