1980年代後半、日本経済が徐々にバブルの様相を見せ、地価が急速に上昇し始めていた頃、筆者の知人が「やっとマイホームを買ったよ」と笑顔で言った。彼が手に入れた憧れのマイホームは、当時日本住宅公団(現在のUR都市機構〈都市再生機構〉)と三井不動産などが分譲していた茨城県・守谷の戸建て住宅だった。
「守谷とはどこですか。通勤は?」と尋ねたことをよく覚えている。当時「守谷町」だったこのエリアは、取手市の北西、利根川と小貝川に挟まれて広がる平地だ。都心へのアクセスは、まず街を北西から南東に貫く関東鉄道常総線に乗り20分ほどで取手駅へ、そこでJR常磐線に乗り換えて上野駅まで40分ほど。乗車中だけで約1時間にもなる。しかも常磐線は通勤で大混雑する路線だ。
最寄り駅まで車での送迎が必須だった彼の家は、気の遠くなるような立地に思えた。だが、これが当時の一般的なサラリーマンが追い求めた夢のマイホームの現実だったのだ。
ただ、彼が守谷に家を買った理由には、ひそかな願望も含まれていたようだ。85年7月に国の運輸政策審議会では、混雑が常態化している常磐線を何とかしようと、常磐新線構想が持ち上がっていた。常磐新線は守谷町の中央を南北に貫く計画で、これが完成すれば、都心部へのアクセスは飛躍的に改善される。また、地価の上昇が当たり前の時代、マイホームの資産価値がどんどん上がるとの思惑もあったという。
10年で2割の人口増
常磐新線は「つくばエクスプレス」の愛称で、構想から20年後の2005年8月に開通した。ちょうどその頃会社を定年退職した知人は「快適な通勤はかなわなかったよ」と寂しげに笑っていたが、つくばエクスプレスの開通は沿線の街のイメージアップに大いに貢献している。
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