有料会員登録 東洋経済オンラインとは
政治・経済・投資 #経済を見る眼

入試改革の闇は「見えないコスト」 共通テスト切り替えの実質的なプラスはほとんどない

3分で読める 有料会員限定
  • 苅谷 剛彦 上智大学特任教授・英オックスフォード大学名誉教授
英オックスフォード大学教授 苅谷剛彦(かりや・たけひこ)1955年生まれ。米ノースウェスタン大学大学院博士課程修了、博士(社会学)。東京大学大学院教育学研究科助教授、同教授を経て2008年から現職。著書に『階層化日本と教育危機』『増補 教育の世紀:大衆教育社会の源流』『教育と平等』など。(撮影:尾形文繁)

間もなく「最後の」大学入試センター試験が始まる。2021年からは大学入学共通テストに切り替わるからだ。

だが、この切り替えに関しては多くの問題が指摘されている。英語の民間試験の導入については、萩生田光一文部科学相の「身の丈」発言がきっかけで延期となった。採点の民間委託を前提とした数学と国語の記述式問題についても、公正な採点の確保や、受験生による自己採点の難しさをめぐって疑問が噴出し、結局延期となった。

入試改革の迷走に対して、文科省の統治能力、あるいは首相官邸や民間企業との関係を問題視する向きがある。もっともな指摘だが、その根底にはさらに根深い問題がある。コスト(費用)の問題だ。

コストといっても、直接的な費用についてはさすがに行政も考慮に入れる。民間委託にかかる費用や、受験料といった受験者が負担する費用である。見えないのは機会費用だ。機会費用とは、例えばAとBという複数の選択肢があった場合、Aがもたらす利益とBがもたらす利益との差である。あるいは、ある選択をしたことでほかのことができなくなる(=犠牲になる)場合に生じるコストといってもよい。ところが機会費用は、教育や入試の改革では、ほとんど考慮されることはない。

英語を話す力はセンター試験では測れない。そういう理由で民間試験導入が決まった。だが、話す力を入試に取り入れることで失われるコストは何か、という問題は議論されない。話す力だけでなく、読む力も書く力も聞く力もバランスよく測るというのが改革派の主張だが、話す力を十分養うことのできない現行の英語教育(教員)でそれを強行すれば、何が、あるいは誰が犠牲となるか。小学生のうちから英語を学べば話す力もつくはずだという見込みで、英語力の不明な小学校教員に英語を担当させることで、何が失われるか。プログラミング教育しかりである。

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

政治・経済・投資

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数