INDEX
天皇陛下の退位を間近にひかえた今年は、明治維新百五十周年でもあった。小欄第89回でも述べたとおり、そもそも改元・元号に関心のない筆者には、「平成」はもとより、「明治」の時代といわれても、ピンと来ない。けれども明治維新は、政体・制度・社会の大きな変革ではあり、現代に直結する近代のはじまりでもある。やはり重大な歴史的画期たるを失わない。
先日もセミナーで「世界からみる明治維新」を話す機会をいただいた。熱心な聴衆のみなさまをお相手に、充実した時間をすごせたのはうれしいことである。
勝海舟の総括
そうはいっても、話した内容はいつもとあまりかわらない。同時代の中国を語ることで、日本の位置づけをも浮き彫りにしたつもりだった。明治維新は世界史的にも異常な出来事だったこと、その異常が東アジアの運命を左右したことなど。
ただ通常とはちがって、今回ぜひ紹介したかったのは、かつて拙著でも使ったことのある勝海舟『氷川清話』の一文である。現代語訳して引いてみたい。
「中国の人々は自らの皇帝・王朝を、自分の土地の管理人くらいにしかみていない。土地の持ち主に損害がなかったら、管理人はいくら代っても少しもかまわないのだ。だから史上、王朝という管理人を十数回代えてきた。こんな国だから戦争をするのは不便だが、負けたのは管理人にすぎず、土地の持ち主は依然まったく変わらない。」
以上、日清戦争を総括した発言で、19世紀の末になっても、中国の国家体制・社会構造は旧態依然だった情況が鮮やかにわかる。
それでも、講演に心残りがなかったわけではない。中国と直接には関係しないため、時間の関係上、割愛せざるをえない資料があったからである。竹越与三郎『新日本史』である。味読すべき叙述もあったので、今回は残念だった。この場を借りて、少し考えてみたい。
この記事は有料会員限定です
残り 566文字
