安倍政権の主張する教育費の無償化は、今話題の加計学園問題以上の、長期政権の緩みの表れというほかない。教育無償化は教育サービスの提供者に国が代わって対価を支払う。一見、子供の親を支援しているように思われるが、本当は学校を支援している。少子化で定員割れを起こす私立大学は、本来は授業料を上げなくては経営が行き詰まる。無償化されると、学生数をある程度までそろえれば、国が授業料に相当する収入を保証してくれる。
大学の供給過剰は続いており、合併・統合で不人気大学を淘汰する政策が求められるはずなのに、まるで逆行している。大学は素行不良や学業怠慢の学生まで経営のために抱えるようになるだろう。
幼児教育はさらに奇々怪々である。保育施設の増設は結構だが、無認可保育施設の経営者の中には保育所を作っては潰す悪質な者もいる。保育施設の粗製濫造を許すと、後々困るのは働く父母である。
それに幼稚園と保育園の一体化はどこへ行ったのか。幼稚園で子供の在園時間を長くして、父母の退勤時間に合わせてお迎えができるようにすれば問題はいくらか解決する。そうした変革も進まず、幼稚園と保育園の利害対立はそのまま残っている。
幼児教育にはぜいたく財の性格があり、特に「早期教育」ではおカネに糸目をつけない親が目立つ。保育が無償となると、そこに費やしていたおカネは、がぜん早期教育に向かうだろう。だが多くの早期教育なるものの効果は怪しい。残念ながらそれに事前に気づく若い親は少ない。子育てに関連する無償化すべてを、「全世代の教育投資」をサポートするという名目に含めるのは強引だ。
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