夏は経済白書の季節である。私は、1969年に経済企画庁に入って以来、新人、課長補佐、課長、局長の各段階で白書の作成に参画してきた。それだけに、自分は経済白書に育てられてきたという思いが強い。
「経済学の基本的な知見に基づいて経済を見る」「データに基づいた議論を心掛け、通説をつねに疑う」「原稿用紙の向こう側にいる読者を意識し、簡潔でわかりやすい文章を書く」。いずれも経済白書を作る過程で実地に学んできたことだ。
かつての経済白書(現在は経済財政白書)は、発表と同時に全文を掲載した経済誌(『週刊東洋経済』もそうだった)の臨時特集号が発売され、これをきっかけに、日本経済についての議論がひとしきり巻き起こったものだ。執筆スタッフは全国各地を訪れ、白書の内容を講演して回った。
大来佐武郎、後藤譽之助、宍戸寿雄、金森久雄、宮崎勇氏ら白書執筆者は、役所の外でも有識者として尊重され、活躍したから、知名度も高かった。香西泰、吉冨勝もまた、白書の作成作業に携わりながら、エコノミストとしての資質を磨いていった。私も含め、経企庁に入った人間は、これら先輩たちの背中を見ながら「いつか白書を書いてみたい」という夢を抱きつつ研鑽に励んだ。経済白書は官庁エコノミストを再生産する場でもあったのだ。
ところが、こうした経済白書のエコノミスト再生産機能は、近年すっかり失われ、白書の注目度もかなり落ちてしまったように見える。大学の研究者や民間シンクタンクのエコノミストが次々に現れ、官庁エコノミストの相対的優位性が失われたこと(かつては分析的に現実の日本経済を議論できるようなエコノミストは限られていた)、経企庁が内閣府に吸収され(2001年)、エコノミストが中心的な役割を果たす独立の組織がなくなったこと(経企庁では経済分析に関係する仕事がほとんどすべてだったが、内閣府ではそれは多くの仕事の一つ)、国家公務員倫理法が制定され(99年)、官庁エコノミストの対外的活動の自由度が失われたこと(かつての経企庁では、この点はまったく自由だった)などによるものであろう。
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