月に一度、掃除の専門グループに頼んで仕事場をきれいにしてもらう。仕事場は“職住一致”で、私の寝室を併設している。
先日、この部屋を徹底的に掃除してもらった。私は畳がダメなので、若いときからベッドを使っている。それを動かしたら下から腕時計が2個出てきた。思わずほおが緩んだ。かなり前にどこかに置き忘れ、行きつけの飲み屋に聞いても「さあ?」という返事しか返ってこなかった代物である。どこかで落としたんだと自分に言い聞かせて、半ばあきらめていた時計である。
物にはほとんど執着心を持たない性格だが、この時計だけはかなり愛着がある。30年近く前に時計製作で名高い会社に頼まれて、社員の研修を手伝った。2~3年続いた。そのとき、担当の社員がギャラのほかに「うちの製品です」といって腕時計をくれた。翌年もくれた。ベッドの下から出てきたのはその時計だ。
極度に薄い作りで、黒い本体を金の枠で囲んでいる。そしてもらってからの30年間、一秒たりとも狂ったことはない。その精巧さに私はいつの頃からか多大な信頼感を抱くようになった。二つのうち一つはちょっと重量があるので、薄いほうとの間に信頼感は結ばれた。人間と物とのこういう関係は、私だけではないと思うが、この時計との仲は特別なものだ。薄くて正確なので、よく友人から「くれよ」とせがまれた。ネクタイやマフラーならすぐに「ああやるよ」と渡してしまうのだが、この時計だけは絶対に拒否してきた。だからなくしたときの絶望感と、自分を責める気持ちはひとしおのものがあった。
しかしどこへ落としたのでもない、忘れたのでもない。結局ベッドに入って腕から外したときに、すき間に落ちてしまったのだ。酔っていたに違いない。でもなぜそれほどこの時計に執着するのか。
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