歴史上の人物を含めて「人間は多面体だな」というのが、私の人間観だ。ある人物に対してある視座から光を照射し、自分なりの“その人観”を構築する。しかしそれはそのときのこっちの年齢、社会的立場、評価などによるものであって、絶対的に不動なものではない。そもそもこの世に絶対だの不動だのというものがあるはずがない。
上田敏氏の訳詩集は私の座右の書の一つだが、その中のヰ(ウィ)ルヘルム・アレントの「わすれなぐさ」は、何かにつけて口ずさむ詩だ(私の「良い詩」の条件は、わかりやすいこと、短いこと、暗唱できることである)。「ながれのきしのひともとは、みそらのいろのみづあさぎ、なみ、ことごとくくちづけし、はたことごとく、わすれゆく」。最後の「はたことごとく、わすれゆく」がいい。無常観とペシミスティックな社会観が色濃く出ている。連想癖の強い私の脳裏には、たちまち映画『商船テナシチー』に出てくる、去りゆく船の立てる波の姿が浮かぶ。
吉野光久さんの一周忌に、奥さんから吉野さんの作品集と、俳句仲間による「追悼号」が送られてきた。「追悼号」に句友の書かれた略伝で、私がまったく接することのなかった吉野さんの多面性を衝撃と感動をもって知らされた。
吉野さんは全国紙N新聞の記者で、私が都庁の広報室長時代に都庁クラブのN紙キャップを務めておられた。ダンディなイケメンで(その後私は吉野さんが“N紙の若大将”と呼ばれていることを知った)、いつも自席で洋書を読んでいた。ダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラーのミステリーの原書だ。私は後ろからのぞき込んで「スカすな(気取るな)」とよくからかったものだ。
都庁からシドニーに行き、その後ワシントンに行った。シドニーからはクリスマスカードをくれ「こっちは真夏で泳いでいる」とあった。港湾の名物、貝殻型のオペラハウスは、世界中から募集して当選したデザインだと教えられた。また「高卒生は金の卵で数年働くと家が建てられるんだ」と言っていたが、今はどうだろうか。
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