有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ライフ #生涯現役の人生学

小笠原の羊 今でも考えるあの日の選択

3分で読める 有料会員限定

優しい家畜の羊がどう猛な狼に変わることがある。かつて小笠原でこの現象を実際に見た。

小笠原諸島は東京から1000~1300キロメートルの距離にある、30もの島の群れで成り立っている。東京都に属する。自動車のナンバーも「品川」だ。島名の由来は、戦国末期から江戸期にかけて信州深志(長野県松本市)の城主だった小笠原氏のかかわりによるものとされている。

しかしこの島に寄港する外国人も多く、嘉永6(1853)年に日本にやってきたペリーも、訪日の帰りに上陸し「この島は米国領である」と標柱を建てている。そこで幕府は文久2(1862)年に外国奉行の水野忠徳を派遣し、島々に父、母、兄、弟、姉、妹、聟(むこ)、嫁など親族の名をつけた。そして父島の二見港の丘の上に日の丸の旗を掲げ「日本領」であることを宣言し、各国に通知して承認された。東京府に属したのは明治13(1880)年だ。居住する島民もしだいに増えた。太平洋戦争になると、約6800人の島民が強制的に内地に送還された。

敗戦で米国領になり、日本に返還されたのは昭和43(1968)年のことだ。そして“羊が狼に変わった”のはこの期間においてであった。

返還後、都知事(美濃部亮吉さん)が島を訪れた。売り物である“都民との対話”を行うためだ。マスコミ記者が多数同行した。広報室長だった私も一緒に行った。今でもそうだが、小笠原には空港がない。米軍もいろいろと努力したようだが、風向の関係でうまくいかないらしい。東京都港区の竹芝桟橋からの船便か、あるいは自衛隊から飛行艇を出してもらう以外、手はない。

当時、島にはシロアリが跳梁していた。そしてもう一つ、対話の席では「野生化した羊が夜になると狼になって、民家を荒らす。何とかしてほしい」という要望があった。米軍の占領前、島民に家畜として飼われていた羊は、特に子どもに愛される従順な動物だった。しかし米軍には羊の面倒を見る余力がなく、羊は放たれた。羊はやがて山頂に集結し、生きるためにかつて世話になった日本人の民家を襲うようになった。その襲撃ぶりはどう猛で、日本領になって戻ってきた島民の想像を絶した。「信じられない」と島民は訴える。どうするか。現地で首脳会議が開かれた。現地の意向を尊重して「狩猟クラブに頼み、山に登って射殺する」ということに決まった。

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数