「今の子は、昔の子より古文や漢文が苦手になった」
学校の先生方とお話ししていると、こんな声を聞くことが結構あります。確かに実感としても、昔よりも古文・漢文の成績が伸び悩む受験生を見かけることが増えたような気がします。その理由は一体なんなのでしょうか?
僕は、教科書や教え方の違いではなく、ある一つの習慣の欠如から、一つの差が生まれているのではないかと思っています。それは、「時代劇を見なくなったから」という差です。僕自身、この変化を日々痛感しています。学生と話していても、時代劇や大河ドラマはもちろん、時代小説や歴史漫画に触れている人も稀です。彼らの生活の中から、「昔の言葉」に触れる機会そのものが消えつつあると感じています。
例えば、次の言葉を見てください。
「だまらっしゃい」
「さにあらず」
「~にあらずや?」
正確に文法を説明できなくても、「これはどうしたことか」「黙れ」「そうではない」「~ではないか?」と、なんとなく意味が浮かぶ人もいるでしょう。
では、その意味を、いつ覚えたのでしょうか。
古文の授業だったという人もいるはずです。でも、時代劇や大河ドラマ、時代小説などで、いつの間にか知っていた人もいるのではないでしょうか。
首を振りながら「さにあらず」と言う人物を見れば、「ああ、否定しているんだな」とわかる。単語帳を開かなくても、物語の中で言葉と意味が結びついていたわけです。
大人が「それくらい、なんとなくわかるでしょう」と思う言葉。その「なんとなく」は、生まれつき備わっていたものではありません。
授業が「答え合わせ」になる子、「初対面」になる子
例えば、漢文に出てくる「如何せん」。「いかんせん」と読み、「どうしようか」「どうしたらよいだろうか」という意味を表します。
困った登場人物が「さて、いかんせん」とつぶやく。そんな場面に触れたことがあれば、細かい説明を受ける前から、言葉の雰囲気はつかめます。
その子が授業で「如何せん」を習えば、「あの言葉は、こう書くのか」となる。すでに持っている感覚に、読み方や意味を結びつければいいのです。
一方、初めて出合う子は、読み方も意味も、使う場面も、一から覚えなければなりません。
同じ教室で同じ説明を聞いていても、一方には「答え合わせ」で、もう一方には「初対面」。必要な手間が違います。
古文や漢文が苦手だという子の中には、この「初対面の言葉」が多い子もいるのではないでしょうか。



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