舟津:しかも政権批判って、すごくわかりやすいじゃないですか。わかりやすい話ほど、やっぱり人気を得やすい。「東京五輪エンブレム問題」を考察した本で、なぜロゴがあれほど炎上したかという原因を、ロゴは誰が見てもわかるからだと分析していました。なるほどなぁと。似てるか似てないかなら、子どもでも言える。同じように、何も知らなくても、政権が悪いか悪くないかの意見は言えるわけです。
「いいね」欲しさで議論のレベルが低下
與那覇:安倍晋三元首相の国葬のときもそうでした。もし国葬に値しないと考えるなら、その経済運営や外交を検証し「こんなにひどかった」と立証するのが筋なのに、それは手間がかかる。一方で国葬に反発する層がいることは見えているから、彼らにウケれば理屈はなんでもいいとして、こじつけを発言する「国葬の歴史の専門家」が出てきたり。
当時出した『過剰可視化社会』(PHP新書)でも論じましたが、SNS社会の最大の副作用は「自己承認の物量化」です。昔は自分が一目置く人に「君の言うとおりだ」と言われれば、たった一人の評価でも最大の承認になりました。でも今は結局、「いいね」の数がすべて。そうすると議論のレベルをむしろ下げて、より人数の多い「専門知など持たないし、本当は興味もない人」にウケる内容で発信するのが、最適解になってしまう。
舟津:今のお話で興味深いのは、国葬に賛成か反対かと問われたときに、なぜ政権の業績を評価しましょうという深掘りをしなくなったのか、というところですよね。一因として、そういう作業って時間がかかるんですよね。一カ月かけてちゃんとした論考を書く人より、その日のうちに投稿してバズった人の方が注目されて、メディアからも声がかかる。専門的な仕事は、ちゃんとやろうとしたら時間がかかっちゃう。それが、アテンションで人気を得る今の仕組みと致命的に相性が悪いのではないかと。


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