ミセスの音楽は、苦しんでいる人を勇気づけることには長けている一方で、その苦しみの背景にある現実を問い直すことには、必ずしも積極的ではないように見える。そのような表現は、多くのリスナーに支持されやすい。複雑な問題に目を向けたり、自分の価値観を揺さぶられたりすることなく、そのままの自分で良いという安心感を与えてくれるからだ。それは大衆的なポップミュージックとして大きな強みでもあるが、表現が一定の深さから先に進まない原因にもなり得る。
今回の「シンデレラ」のMVは、そのようなミセスの表現が抱える限界を露わにしてしまった。キャバクラで働き、経済的に困窮し、男性との関係にも葛藤を抱える女性を主人公にすると、その人物が置かれた社会的な状況が問題になる。そこでは経済的な事情や家庭環境、労働のあり方、男女の格差など、個人の心の持ちようだけではどうにもならない問題が存在する。
ところが、作品が最終的に提示するのは、自分自身を肯定するという抽象的なレベルのメッセージのみである。複雑な現実を持ち出しながら、その複雑さに十分に向き合うことなく、すべてを個人の考え方の問題へと回収してしまう。
現実の複雑さを描こうとするのであれば、その複雑さに見合うだけの人物理解や表現の説得力が求められる。今回のMVでは、深刻な問題を扱っているにもかかわらず、実際に描かれている内容の深さとの間に隔たりがあるように思われる。
2024年には「コロンブス」のMVが批判を浴びた
この点を考えると、2024年の「コロンブス」のMVをめぐる騒動との共通性も見えてくる。そのMVでは、歴史上の偉人に扮したメンバーが類人猿を思わせるキャラクターたちと交流する場面が描かれ、植民地主義や人種差別を連想させるとして批判を浴びた。
所属レコード会社は歴史や文化的背景への理解に欠ける表現が含まれていたことを認め、MVの公開を停止した。大森自身も差別的な意図はなかったと説明した上で、配慮が不足していたことを謝罪している。


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