コロンブスという歴史上の人物は、かつては新大陸を発見した偉大な冒険家として語られることが多かった。しかし、その航海がヨーロッパによる植民地支配の拡大につながり、先住民に深刻な被害をもたらしたという負の側面も、現在では広く知られている。そのような歴史的背景を持つ人物を登場させるのであれば、植民地主義や人種差別を連想させる可能性について慎重に考える必要があったはずだ。
「コロンブス」と「シンデレラ」では、問題視されている表現の内容も、その重大さも異なる。しかし、両者には、自分たちが伝えたいメッセージに合わせて題材を選びながら、その題材が持つ歴史的、社会的な意味への理解が十分に表現されていないという共通点がある。
「コロンブス」では、歴史上の人物が楽しい冒険や未知の世界を象徴する存在として使われた。「シンデレラ」では、夜の仕事や経済的困窮が、傷ついた女性の人生を象徴する要素として使われている。いずれも、題材そのものが持つ複雑な背景よりも、制作者が表現したい物語の方が優先されている印象を受ける。
複雑な現実を描く際に露呈した「理解の浅さ」
大森は、現代の日本を代表するポップミュージックの作り手の1人である。人々が求める言葉や感情をすくい取り、それを多くの人が親しめる音楽として届ける能力は高い。その才能を否定する必要はないし、彼の音楽によって励まされ、救われたと感じる人もたくさんいるだろう。しかし、優れた表現者であっても、複雑な現実を描く際には、その理解の浅さが露呈してしまうことがある。
「シンデレラ」のMVをめぐる論争は、ミセスの音楽が持つ魅力と、その表現が抱える限界の両方を浮き彫りにしたと言えるだろう。


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