震災後、新しい土地で出会ったクレープに気持ちを明るくしてもらった。この経験が、現在の遠藤さんの店づくりにもつながっている。前編で語っていた「日常の中の小さいハッピーになれたら」という思いの背景には、12歳のときの記憶があるのだ。
震災が遠藤さんに残したものは、もう一つある。
「人生の中で、震災のときよりつらいことはないんじゃないかと思いながら生きています。だから、大変なことがあっても、それほど大きな問題ではないと思えるんです。いつ死んでもおかしくないからこそ、やってみたいことはやってみる。目の前に来たチャンスをつかんで、挑戦していきたいと思っています」
クレープで稼いだバイト代をクレープに費やす
高校生になると、遠藤さんはクレープ店でアルバイトを始めた。クレープを食べるためのお金を、クレープをつくって稼ぐためだ。さらに、まかないでもクレープを食べられる。まさにクレープ漬けの日々だった。
アルバイトは大学生になってからも続け、クレープをつくる腕を磨いていった。さらに全国のクレープ店を巡るようになった。東北地方、東京、福岡、大阪など各地の店を食べ歩き、それぞれの店の特徴にも目を向けるようになった。
ところが大学では、クレープとは関係のない、自分が興味を持った分野を専攻した。この頃はまだ「クレープを仕事に」とは思っていなかったからだ。しかし就職を考える時期になり、改めて自分にできることを考えると、「クレープしかない」と思ったという。
いずれは自分の店を持ちたい。そのために必要な経験を積める店で働こう。そう考えた遠藤さんが選んだのが、大阪・梅田にあった「YORKYS Creperie(ヨーキーズクレープリー)」だった。
「当時、東京では2000円前後の高級クレープが流行っていました。一方、仙台は500~600円くらいの、気軽に食べられるクレープが中心でした。大阪はその中間で、こだわりはあるけれど1000円以下で高すぎない。私はパティシエでもないし、安くておいしいクレープの方がうれしいと思ったので、大阪の店が自分には一番勉強になると思ったんです」
当時は、SNSで映える見た目を意識したスイーツが次々と登場していた。そんな中で、「YORKYS Creperie」は見た目の華やかさだけでなく、味にもこだわっていた。遠藤さんは、「こんなクレープ店をやりたい」と思ったという。
ところが、当時、YORKYS Creperieは正社員を募集していなかった。


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