秀吉と家康との対面は27日を予定していました。
ところが『家忠日記』によると、秀吉は待ちきれずに、その前夜、家康を訪問したとあります。秀長の宿所に秀吉が現れたのです。
秀吉は家康の手を取り、奥の座敷に連れていきます。そして「酒もり」(酒盛り)が始まるのでした。「関白様」(秀吉)は酌をして家康に酒を勧めます。秀吉は家康を歓待したのです。
こうした秀吉の態度・対応を「従属してきた外様大名に対して(中略)こうした対応をしているのは家康だけである。そのため家康が特別扱いされたことは間違いない」と評する向きもあります。確かに対面予定日の前日に宿所を訪れるということは珍しいかもしれません。
宗麟が訪ねたときも凄いもてなし
しかし天正14年(1586)4月、豊後国の大友宗麟が大坂を訪れ、秀吉に出仕したときも、秀吉は大坂城の天守を自ら案内しています。
天守において、秀吉は「近国近方の在所(土地)」について丁寧に宗麟へ説明しました。その際には秀吉は宗麟の手を取ったり、背に手をかけたりしたそうです。そのうえでさまざまな話をしたとのことです。
その後、秀吉は広間で「御湯」を振る舞い、自分の「寝所」まで見せています。宗麟は秀吉の懇切な態度に大いに感激しています。
秀吉との対面の後で宗麟が訪れたのが、秀長の「仮屋」でした。宗麟は秀長とも対面しますが、その時、秀長は宗麟のもとに歩み寄り、その手を取るのです。
そして「安心してください。内々のことは千宗易(利休)、公儀のことは宰相(秀長)がよく存じています。あなたにとって悪いことはありません。今後、いよいよ話し合いましょう」と宗麟に語りかけるのでした。宗麟は秀長の態度にも感激しています。
「人たらし」(多くの人を惹きつけ、愛される)とは秀吉を評すときによく使用される言葉ですが、宗麟の書状に記述された秀長の態度からは、秀長も相当な「人たらし」であったことがわかります。宗麟は秀長と宗易に心を許して親密になるのがよさそうだと判断しています。「豊臣兄弟」は人心掌握の達人だったと言えるでしょう。家康も秀吉の対応に気を良くしたと思われます。


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