これは、拙著で「生態化」と呼んだ感覚そのものです。
コントロールしているつもりだった自分が、実はもっと大きな流れの一部だったと気づくこと。しかもその気づきは、自分の手で何かを成し遂げたときではなく、自分の手が届かなくなったときに訪れます。
そしてそれは、何十年もかけてたどり着く境地ではありません。たとえば子育ての場合、最初の数年のうちに、多くの人がすでに通り過ぎているものです。
チームは「機械」ではなく「生態系」だった
同じ旅路は、職場にもあります。
初めてマネジャーになった年を思い出してみてください。最初は、何から手をつければいいのか分かりません。メンバーの相談、上からの指示、プレーヤーとしての自分の仕事。すべてが同時に押し寄せてきます。
やがて、押さえどころが見えてきます。このチームで本当に効くのは、週に一度の一対一の時間だ、というように。それを続けるうちに、いちいち考えなくても回せるようになる。単純化から堆積化への道です。
ところが、ある日それが途切れます。急な出張や体調不良で、1週間チームを空けることになった。戻ってみると、仕事は滞りなく回っていた。それどころか、自分がいたら止めていたかもしれない若手の提案が、思わぬ成果を生んでいた。
そのとき、多くのマネジャーは少しだけ動揺し、そして気づきます。チームを回していたのは、自分だけではなかった。チームは自分が設計して動かす機械ではなく、メンバー同士の関係や、顧客や他部署とのやりとりが絡み合った、一つの生態系だったのだと。
身体もそうです。腰痛を治そうと原因を一つに絞り、ストレッチを習慣にする。それでも良くならないとき、睡眠や仕事のストレスや歩き方まで、すべてがつながっていることが見えてくる。身体は自分の思い通りに直す対象ではなく、付き合っていく相手なのだと分かってきます。
どの場面でも、同じ形の旅路が、小さく繰り返されているのです。そして、どの旅路も最後には、同じ気づきにたどり着きます。


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