自分が生きているつもりだったのに、実は生かされていた。
この感覚は、悟りのような特別な体験ではありません。どんな仕事にも、どんな些細な営みにも、それに気づく瞬間があります。
ただ、その瞬間があまりに小さいので、僕らはそれを「成長」と呼ばずに通り過ぎてしまうのです。
足元で、すでに何度も歩いてきた
この連載では、第1回で、成長とは世界が単純に見えていた状態から、複雑に見えるようになることだと書きました。第2回では、北海道・浦幌の一次産業の方々から、コントロールできない相手と付き合うための構えを学んだ話をしました。そして最終回の今回お伝えしたかったのは、その旅路を、僕らはすでに足元で何度も歩いてきたということです。
成長の地図は、一枚の大きな地図ではないのかもしれません。小さな地図が、人生のいたるところに折り重なっている。
仕事の地図、子育ての地図、身体の地図。
そしてそれらは別々に綴じられた地図帳ではなく、同じ一人の人生の上に重なって描かれています。
だから、大きな旅路の途中で迷ったときは、小さな地図を思い出せばいいのです。
自分はかつて、どこかの小さな場面で、すでにその道を歩いたことがあるのだと。


※ログイン後、コメント入力が可能です。