たとえば、子育てを思い浮かべてみてください。
初めての子育ては、とにかくバタバタします。泣いている理由が分からない。何をすればいいのか分からない。あらゆることが同時に押し寄せてきて、手当たり次第に対応するしかありません。
それが少しずつ単純化されていきます。この泣き方はお腹が空いているとき、これは眠いとき。押さえるべきポイントが見えてきて、そこに集中できるようになる。
やがてそれが堆積していきます。
ミルクの準備も寝かしつけも、いちいち考えなくても身体が動くようになる。いわゆる「慣れた」状態です。
「自分だけではなかった」と気づく瞬間
ところが、慣れたはずのこの営みが、ふと途切れることがあります。
自分が熱を出して、起き上がれなくなった日。いつもなら自分がやっていたミルクも寝かしつけも、できない。それでも一日は回っていきます。誰かが代わりに子どもを抱き上げ、誰かが食事を用意してくれる。
あるいは、災害や品薄で、当たり前に買えていた粉ミルクやおむつが店の棚から消えたとき。保育園から帰ってきた子どもが、自分の教えていない歌を口ずさんでいたとき。
そういう瞬間に、ふと気づくのです。この子を育てているのは、自分だけではなかったのだと。
粉ミルクが棚に並んでいたのは、それを作っている人がいたからです。その原料になる乳を出す牛がいて、牛を育てている十勝の農家がいる。おむつを作る人、それを運ぶ人、店に並べる人。子どもに歌を教えてくれる人。
流れが止まって初めて、自分がずっとその流れの中にいたことが見えてきます。


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