彼女はエドワード6世の乳母であり、1562年にエリザベス1世が天然痘にかかった際、献身的に看護したが、自身も感染して亡くなった。彼女の墓が移された直後から、奇妙な音が報告され始め、糸車の音が宮殿中に響き渡るようになったとか。
その後、宮殿の階段付近で灰色の服を着た女性がたびたび目撃されて「灰色の貴婦人」として話題を呼んだ。
現在、ハンプトン・コート宮殿は英国王室の所有で、年間を通じて一般公開されている。訪問者は今でも幽霊廊下を歩くことができ、多くの人がこの部屋に入ると不安な感覚を覚えると報告している。
伝説か史実か、幽霊か心理現象か――。答えは定かではない。しかし確かなのは、400年以上前の悲劇が、今もなお人々を魅了し続けているということだ。
20世紀初頭、ハンプトン・コートで最もよく売れた絵葉書は、幽霊の姿を捉えたとされる二重露光の偽造写真だった。
伝説の怪物も関係する?「ドイツの城」
あの城の中には死体から魂を取り出して別の体に入れている男がいるらしい――。
17世紀のドイツにそんな恐ろしい噂を立てられた人物がいた。のちには、世界的な小説のモデルになったとも言われている。それが、錬金術師で医師でもある、ヨハン・コンラート・ディッペルだ。
ディッペルは1673年、ドイツのダルムシュタット近郊で丘の上に建つフランケンシュタイン城で生まれた。
成長すると宮廷錬金術師として研究に取り組むようになったが、その一方で、解剖実験も盛んに行っていた。そのため、ディッペルは「死体泥棒だ」と非難され、「死体から怪物を作り出した」という噂まで、まことしやかにささやかれるようになったという。のちにグリム兄弟がこの伝承を記録している。
時は流れて1814年、イギリス人のメアリー・ゴドウィンは、のちに夫となるパーシー・ビッシュ・シェリーと義妹とともに、この地域を旅している。このとき、フランケンシュタイン城から十数キロの場所にあるゲルンスハイムにも立ち寄ったようだ。それから2年後の1816年5月、メアリーはパーシーと義妹とともに、スイスのレマン湖畔に別荘を持つ詩人バイロン卿を訪ねたという。


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