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ライフ #ヤングケアラーの僕が東大に合格するまで

「可哀想な子と思われたくなかった」支援が毒になるとき ブレイディみかこ×元ヤングケアラー東大生・清野孝弥対談(後編)

11分で読める
ブレイディみかこ 清野孝弥
大人の支援はどうあるべきか(写真:ブレイディ氏はShu Tomioka撮影、清野氏は本人提供)

INDEX

両親の精神的・肉体的なケアを引き受けながら東大に合格し『ヤングケアラーの僕が東大に合格するまで』を刊行した清野孝弥氏と、イギリス在住の文筆家・ブレイディみかこ氏。
前編では、大学入試における「体験格差」と「縦の多様性」の欠如について語ってもらった。後編のテーマは、「大人の支援はどうあるべきか」だ。子どもと大人の間に横たわる隔たり、支援者が陥りがちな「パターナリズム」の罠、そして日本社会から急速に失われつつある「サードプレイス」の重要性について、2人が議論した。

善意からの支援が「毒」にもなり得る

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清野孝弥(以下、清野):ブレイディさんの著書『両手にトカレフ』を拝読した際、主人公の14歳の少女ミアが、自分を助けようとするソーシャルワーカーを激しく拒絶する姿に、かつての自分を重ね合わせました。貧困家庭で生まれ育てば、社会や大人に対する嫌悪感や不信感は普通の子どもよりも生まれてきやすいと感じます。

ブレイディみかこ(以下、ブレイディ):ええ。よくわかります。私が『両手にトカレフ』で一番書きたかったのは、最後に近所に住む大人に言わせたセリフの、「あなた(子ども)はもう何もしなくてもいい。何かをしなくてはいけないのは大人たちのほうだから」でした。

清野:そうなんです。でも、外部の大人から「君たちは今、恵まれていないんだから、私たちがこれをしてあげるよ」とパターナリスティック(強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益のためだとして干渉する様子)に介入されても、子どもからすればリアリティを感じられず、心を閉ざしてしまいます。

当時の私がもし「貧困家庭の子どもを支援したい」という大人に出会っていたら、「なんだその人は。僕は別に、自分のことを貧困世帯のかわいそうな子どもだなんて思っていない」と反発したはずです。「貧困の子ども」とカテゴライズされ、ラベリングされて優しくされることへの違和感がありました。

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