ブレイディ:確かに、当事者の子どもからすればそう感じて当然ですよね。
清野:日本の生活保護制度におけるケースワーカーも、家庭の状況をヒアリングしてくれますが、実際には親(保護者)とケースワーカーの間での微調整で終わってしまっていることも多いと感じます。子どもとの間に「いざとなったら助けを求められる」ようなきめ細やかな関係が築けているかというと、疑問です。
ブレイディ:そこは支援者が陥りやすい悪癖ですね。『「回復」という毒』(風間暁著、日本評論社)という本を最近読みまして、その中で、支援者や医療関係者が「(依存症から)回復することが善だ」と勝手に正解を決めつけ、子どもをそこに引っぱって行こうとすると、子どもは主体性を奪われ、最終的に信頼関係が崩壊してしまうと指摘されていました。
清野:良かれと思って勝手に靴を用意されても、子どもは履きたくないわけですよね。
ブレイディ:その通りです。イギリスのソーシャルワーカーは逆に「子どもの意見が何より一番大事だ」という強固な指針を持っています。親権の裁判などでもサイコロジスト(心理士)を入れて子どもの意見を詳細にレポートし、その意志を尊重するので、親が逆に「子どもばかりが尊重されて、自分の意見を聞いてくれない」と不満を抱くほどです。
しかしそれでも、「未成年だから、(大人が安心できる)正しい方向に導かなければ」と支援者がパターナリスティックになりすぎ、子どもを誘導する危険性は常にあります。支援者は、自分が子どもの靴を履いているつもりで、実は「自分が勝手にこしらえた子どもの靴を履いて、当事者になり替わっていろんなことを決めていないか」と常に疑いを持たなければなりません。
それでなくとも、思春期の子どもにとって「大人は敵」になりやすい。支援が支配になれば、逆に「毒」になってしまうという意識は、貧困家庭の支援にも全く同じことが言えると思います。
「かわいそう」だと思われたくなかった
清野:確かに、「子どもと大人」という区分をすれば、思春期の子どもにとって大人は明らかに「敵」であり、対抗すべき存在としてプログラムされているのだと思います。
私がなぜヤングケアラーという過酷な状況を生き延びられたのか振り返ってみると、『ヤングケアラーの僕が東大に合格するまで』でも書いた「A君」や「住田さん」といった、同年代の友達の存在があったからです。
彼らは私を「貧しいかわいそうな子だから助けよう」などとは一切思わず、何のメリットもデメリットも関係なく、ただ同じ視点で付き合い、話をしてくれました。『両手にトカレフ』に出てくるウィルという男の子もそうですよね。貧困家庭で育ったミアが書くラップのリリックに「リアルがある」と、ミアのことを尊敬しています。


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