清野:子どもを優秀な大学や企業に行かせようと躍起になる大人の姿勢が、子どもたちが本来築くはずだった友人関係やサードプレイスを奪ってしまっているように思えます。
「余白」の欠如が「孤独資本主義」社会を招く
清野:ブレイディさんの『それはどこでも起こり得る』でも語られていましたが、何でもかんでも成果を出さなきゃいけないという実績主義やメリトクラシー(能力主義)が支配する社会では、生産性や結果に直結しない人間関係の「余白」を持つことが軽視されてしまいます。
ブレイディ:そういう「余白」が失われると、最終的に孤独感に繋がり、人間と喋るよりテクノロジーやAIと喋るほうが楽だという「孤独資本主義」のような社会になってしまいますよね。
様々な階級の人と触れ合うことの重要性は、1960年代のイギリスが証明しています。60年代はビートルズをはじめとする「ブリティッシュ・インヴェイジョン」の時代でしたが、あれは1945年の選挙で労働党が勝ち、「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家の基盤を作ったからです。高等教育が無償化され、貧しい労働者階級の子どもたちもタダで大学や美術学校に行けるようになりました。
その結果、それまで富裕層しかいなかったメディアやファッション、芸術といった文化の世界に貧しい家庭の若者たちが進出し、ミドルクラスの文化と交ざり合うことで、文化的なフュージョン(融合)が起きました。
日本も、「生活保護の子どもは(世帯分離をしなければ)大学すら行けない」というようなシステムを変え、これまで声を聞いてもらえなかった階層の若者たちがどんどん発信できる立場になれば、社会の停滞感は払拭され、ずっと面白くなるかもしれませんね。
清野:文化的側面については、今はSNSやYouTubeが発達し、テレビ局や出版社を通さなくても誰でも発信ができるようになったため、ある種の「小さなビートルズ」が生まれやすい流動的な環境にはなっているのかなと感じています。


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