清野:一方で、仕事や学歴といったソーシオエコノミックステータス(社会経済的地位)へのアクセスは依然として流動性が失われています。日本で本当に解決すべきは、一定の大学を出ていなければ知識がないとみなすような、学歴や職歴に紐づいたバイアスのほうだと思います。
「統計的差別」(集団全体の平均的な過去の統計データを参考に、個人の判断や待遇を変えてしまう差別のこと)という言葉もありますよね。
社会の批判にとどまらず、大人としてできること
ブレイディ: 社会のシステムを変えることはもちろん重要ですが、「社会システムが悪い」とばかり言うと、当事者の「心の持ちよう」はどうあろうと関係ない、システムが変わらないと個人は無力だという印象を与えかねない。しかし、ここではない世界に行きたいと思うなら、当事者自身が「自分の世界を自分で変えていける」と思えなければ、現状は変わりません。
貧困家庭で育つと「自分は身を引く」という心理がどうしても働きます。「頑張れ」と言ったり、「夢は叶えられる」と言うとすぐに新自由主義者だと叩かれがちな時代ですが、それでも「貧困家庭の子どもも、夢を持っていいんだ」と伝えなくていいわけがない。システムを変えるために大きな問題に取り組むことと、パーソナルな部分で一人の子どもの背中を押すこと。この両輪が大事ですよね。
清野: おっしゃる通りです。当事者が「自分で頑張れば世界を変えられる」と思う土俵がないと、多くの子どもは身を引いてしまい社会から声が埋もれてしまいます。私が東大合格を発信したことで、「貧困世帯でも東大に合格できた人がいるのだから、あなたの努力不足だ」と自己責任論の武器として使われてしまう懸念は未だにあります。
結果が出るかどうかは、運の要素も大きいです。だからこそ、結果が出たからといって「お前は努力不足だ」と他人に自己責任論をかざすのは間違っています。自分の事例は奇跡的だと思います。
しかし、それでも「そういうサンプルが世の中にいる」と知ることで、一人でも「自分も頑張ってみよう」と思える人が増えればと願っています。そして、社会の大人たちには、そうした子どもたちの追い風となるようなサードプレイスや繋がりを作り、行動を取ってほしいと思っています。
ブレイディ:本当にその通りですね。社会制度が変わらなければ社会は良くならないのは事実ですが、それと同時に、大人たち一人ひとりの意識や子どもへの眼差しが変わらなければ、結局何も変わりません。
「そういうことは政府や地方自治体がやるべきだ」と制度の問題にして、お上を批判しておくほうが、実は楽なんですよね。自分の身の回りにいる子どもたちにどう接するか、現実に自分の足元から変えていくことのほうがずっと面倒だし、大変です。
どんな子どもも自分から身を引かなくてもいいように、背中を押したり、安心して交ざり合える場所を作ってあげたりすること。それは、政治家や専門家だけでなく、私たち大人一人ひとりにできることだと思います。そういう小さなことがだんだん大きくなって、真の意味で社会も制度も変わっていくのかもしれません。


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