さらに7世紀の初頭には飛鳥寺の本尊であり、飛鳥大仏と呼ばれる釈迦如来坐像を仏師の鞍作止利(くらつくりのとり)が完成させた。鞍作氏も東漢氏系の渡来氏族だ。
鞍作氏は馬具職人の集団である鞍作部として東漢氏の配下に置かれていたが、しだいに金属加工技術を生かし、仏師として頭角を現す。中国の北魏様式の流れをくみながら、洗練された鞍作止利による作風は止利様式と呼ばれ、今も高い評価を得ている。法隆寺金堂の本尊、金銅造釈迦三尊像も、彼の手によるものだ。
また、崇峻天皇5年(592)、崇峻天皇を暗殺した首謀者は蘇我馬子だが、直接手を下したわけではない。自身の側近でもあった、東漢駒(やまとのあやのこま)を刺客として差し向けている。
大化元年(645)の乙巳(いっし)の変によって蘇我氏が滅亡すると、東漢氏は中大兄皇子が主導する改新政府に仕え、壬申の乱では大海人皇子側に身を置く。
また、恵美押勝(えみのおしかつ)の乱で活躍した坂上刈田麻呂(かりたまろ)や、平安時代に征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂も、東漢氏の支族の1つである坂上氏の出身だ。
飛鳥の渡来人とその末裔は日本の歴史に大きな影響力を与えていった。続々と朝鮮半島から渡ってきた渡来人だが、その数は不明。弘仁5年(814)に編纂された『新撰姓氏録』には畿内に居住する1182の氏のうち、324氏が渡来系であると記録されている。9世紀の畿内の氏は3分の1が渡来系だったことになる。
崇仏に傾倒する豪族と土着の精霊を崇拝する庶民
古代の日本は自然や祖先の魂が信仰の対象だった。人々は山や谷、川や海などの神秘的な場所に精霊を感じ、各地で土着の神として祀った。大和周辺の豪族たちが大王(おおきみ)のもとで朝廷をつくり、国内の統一が進むと、五穀豊穣のための祈祷や、天災・飢饉から身を守るために神祭りをつかさどる大王が信仰の中心を担うようになっていく。
そんななか伝わった仏教が、人々に与えた影響は、仏像の崇拝や読経などといった表面的なものにとどまらなかった。


※ログイン後、コメント入力が可能です。