また、体にいいものを食べたうえで、体を動かして免疫力をつけようと、葉山の自然をいかした外遊びを保育に取り入れている。毎日のように山や海に行き、五感を使ってめいっぱい遊ぶ。
松尾さんが思い描いていた保育を、試行錯誤しながら実践していった。
50歳で市役所を辞め、認可保育園へ
しかし、無認可のままでは、自治体からの補助金が少ない。人を雇っても定着しない。当時の給料は、園長で月19万程度だったという。それでも続けてくれるスタッフはいたが、将来を考えると、認可を取ることが急務だった。
2002年、保育園は14年目を迎えていた。この年、松尾さんは50歳で、27年間勤めた横浜市の職員を早期退職する。
自分たちと同じように、アトピーやアレルギーの子どもたちを安心して預けたい、葉山の自然の中で外遊びをさせたいと考える保護者は少なくなく、需要は高まる一方だった。
「お子さんのアレルギーのことを気にされる親御さんが来てくださって、『保育園に入れない』と言って、泣かれるようなこともたくさんあって。もうこれはやるしかない、と思ったんですよね。
自分のためだけじゃなくて、目の前で困っている人たちのためにも、認可を取って保育園を広げるしかないって」
その背景には、松尾さん自身が、シングルマザーの母親の苦労を見てきたこともあった。葉山町にも共働き家庭が増え、待機児童が多くなっていた時期。女性が働くための受け皿として、保育園を広げることが、自分のミッションのように感じていた。
退職後、1年かけて認可取得の準備を進めた。認可の基準は、子どもの数に対する保育士の人数、一人あたり何平米という空間の広さなど細かい。
前の園舎は、最大25人程度が入る古民家だったため収容人数を増やし、認可の基準を満たす広さを確保するために、土地探しから始めた。ようやく見つけたのが現在の葉山町長柄にある借地だ。資金を借り入れ、園舎は自費で建てた。


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