「とにかく必死だったので、大変だなと思い悩む間もなく、決断した方向に向かうという感じでした」
葉山にくれば、すべてが解決すると思っていた。しかし、現実はそう一筋縄にはいかない。今度は、保育園問題が待っていた。
「文句があるなら、自分でやってみれば?」
当時はまだ葉山に保育園が少なかった時代。
なんとか2人の子どもを預けられたものの、海も山もすぐそばにあるのに、当時はほとんど園舎内や園庭での保育だった。
自然豊かな環境を求めて移住してきただけに、都会の保育園と大して変わらないことにがっかりした。さらに、当時はまだ保育園でアレルギー対応の食事を提供する時代ではなく、給食に牛乳や卵が出てくるのも心配だった。
そんな不満を、保育園で出会った友人たちにぶつけていたら、ある日、こんな言葉が返ってきた。
「そんなに文句があるなら、自分でやったら? 理想の保育を、自分でやってみたらいいじゃない」
それをまっすぐに受け止め、「その通りだな! やってみよう」と思ったという。
「よっぽど、うるさかったんでしょうね(笑)。不満ばかり言っていたエネルギーを、文句を言わないエネルギーに変えることにしました」
そうだ、保育園をつくろう。アレルギーの子どもたちが安心して通える保育園を。
市役所に勤め、福祉職をしていた松尾さんは、制度をいかした運営を前提として、施設があり、給食を出して、保育園と同じ機能を持つ無認可保育園(現・認可外保育園)をつくることを目指した。
動き出すと、思いがけない巡り合わせが続いた。
子どもたちのために通っていた逗子の自然食品店「陰陽洞」のオーナーに、保育園をやろうと思うという話を何気なくしたところ、「うちもちょうど探していたところだよ。一緒にやらない?」と意気投合。さらに、横浜の人材センターでも同年代の保育士と出会い、園長を引き受けてもらえることになった。
そうして1989年、大人3人と、それぞれの子ども6人で小さく始めたのが、「葉山にこにこ保育園」のスタートだった。
コンセプトは、「アトピーやアレルギーの子どもたちが安心して通えること」。
食と外遊びに力を入れている。給食はできるだけ添加物の入らない材料でつくり、卵・牛乳・蕎麦・牛肉は40年近く一切使っていない。今では管理栄養士2名、栄養士2名、調理師1名の4人体制で130人分の給食をつくっている。


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