黒澤さんはインド人に紛れて、路上で日本の雑貨を売っていた。当時のインドでは、日本のボールペンや健康サンダル、相撲柄の茶碗などが珍しく、欲しがる人が多かった。そこで日本の100円ショップで仕入れた雑貨をインドで売って、旅費の足しにしていたそうだ。
ある時、ガンジス川で「一緒にどう?」と声をかけられ、見ず知らずの人の火葬に参加したこともあるという。
どこへ行っても現地の人たちの日常に入り、旅を重ねていた20代半ば。まさかのちに自分がインド料理店を始めるとは思っていなかった。
日本と海外を行き来していた28歳の時、膠原病を発症した。医師から「この病気は治らない。最後は車椅子になる」と、歩けなくなるかもしれないという宣告だった。ところが「海外に今まで行っといてよかった。すぐ切り替わりましたね」とできることに目を向けたという。半分寝たきりの状態からリハビリを続け、歩けるまでに回復したのは30歳のこと。
ひらめきでインドカレー店を経営
「カレー屋をやりたい」
突然ひらめいたのは32歳の時、2004年4月1日のことだった。
そう思い立ってからの行動は早かった。飲食店どころか、ほとんど働いた経験がない。まずバックパッカー時代の人脈をたどって、日本でインド料理店のプロデュースを手がけるズベールさんに相談した。
本格的なインド料理を提供したいと考えていた黒澤さんに、ズベールさんが紹介したのが、インドの5つ星デラックスホテル「ホリデイ・イン・クラウンプラザ ニューデリー」で腕をふるうラムさんだ。勤務先のホテルで 「Torchbearer Award」 の表彰を受けており、技術に加え就労ビザを取得する条件を満たすキャリアもある。
「この人なら間違いない」と、ラムさんをスカウトし初代シェフとして迎えた。


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