当時、ジャックさんは日本の学校を卒業後にトヨタで働いていたが、富士子さんは、結婚する時点でいずれタイに行くことも想定していた。そのため、迷うことなくタイ行きを決めたという。
薬品会社を経営する富士子さんの父からは、「俺が元気なうちに、うちの会社に入ればいいのに。お前はばかだ」と言われたというが、富士子さんの優先順位の1番はジャックさんだった。二人は息子と共に、タイのランパーンという街の近郊に移り住んだ。
富士子さんは独身時代に半年間、タイで日本語教師をしていたことがあったが、タイ語をもう一度勉強しなおすことにした。当時は買い物で交渉をしなくてはいけない場が多かったからだ。「まとめて買うから安くしてほしい」とタイ語で交渉ができれば、お得に買い物ができる。
富士子さんのタイ語は上達し、ジャックさんがいないときにも、ジャックさんの家族と会話ができるほどになった。
また、タイで暮らしたことで、富士子さんにはさまざまな気づきがあった。
「タイは『微笑みの国』と言われます。主人も常ににこやかな人ですが、タイでは初対面でもすぐにあたたかな笑顔を向けてくれる。それが、こんなにもほっとするのかと思いました」
そして、「男女平等」が根付いている国だとも感じた。
「今から20年以上前ですが、タイではすでに女性がリーダーとして当たり前に活躍していました。当時のタイは発展途上国と言われていましたが、男女平等という点では、日本より先を行っていると思いました」
ジャックさんは、「むしろ女性が強いです。女性が引っ張って、男がついていく感じ」と補足してくれた。
父の言葉で帰国、夫婦で家業へ
タイに来て3年ほどが過ぎ、富士子さんが次男を妊娠していたときのこと。富士子さんの父から「日本に帰ってきてほしい」という連絡が来た。父は2度脳梗塞で倒れたことがあり、家業の行く末を考えて、富士子さんたちを呼び戻したかったのだ。


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