この年の模試の成績はB判定が出ることもあり、英語は伸びましたが、他の科目は伸びている感じがなかったそうです。
同じラ・サールから来ている浪人の友達と話す機会はあったものの、それ以外の友達はつくらず、ただひたすら勉強していた吉永さん。しかし、そういう生活を繰り返し、夏を迎えた頃、精神的に追い詰められ、鬱っぽい状態になっていきました。
「夏に帰省して、親に愚痴を言っていましたが、そこから1カ月くらい塾にも行けず塞ぎこんでしまいました。今思えば、寮では仲間ができて、気晴らしにサッカーやフットサルをやったりはしていたのですが、市谷の教室では人と話しませんでした。同じクラスの浪人の友達を作って、彼らと切磋琢磨しておけば良かったなと思います。この時期が、人生で一番どん底でした。でも、あと半年だし、お金も出してもらっているし、頑張らないとなという気持ちで9月に市谷に戻りました」
9月に駿台に戻ると、センター試験までの残り3カ月をなんとか気力で乗り切った吉永さんは、センター試験が95%と前年から伸びたため、「残りの2次試験までの1カ月もなんとか頑張れた。センター試験でこけていたら立ち直れなかった」と振り返ります。
しかし、必死に勉強を続け本番に臨んだものの、2次試験は再び10点前後の差で理三に届きませんでした。
「2浪はもう、精神的に無理だと思っていました」と語る吉永さん。この年は多くの大学を受験し、慶應義塾大学の医学部、早稲田大学の先進理工学部、慈恵医大、防衛医大、後期の東京医科歯科大学の医学部にすべて合格しました。
そこから慶應の医学部を進学先に選んだ理由を聞くと、「総合大学で他の学部の人と同じサークルに入りたかった」という思いと、「鹿児島からするとブランドが一番わかりやすかった」という2つを挙げました。
慶應医学部に進学「自分の限界を知って、スッキリした」
こうして1年間の浪人生活を終えた吉永さん。浪人してよかったことを聞くと「自分の限界を知って、スッキリした」と答えてくれました。
「挫折を知れたのは、今振り返ったら良かったと思います。わからないですけど、ストレートで理三に入っていたら、人生を舐めた感じになっていたかもしれません。要領は良くなかったですが、後悔なくやってダメだったのでスッキリしました。自分はここまでだったのかな、という清々しさがありましたね。浪人の挫折が『まだ自分は何者でもない』感が強くて、一番つらかったです」


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