劣等とされた産地が、製法を変えることで日本一になった。 藤井酒造はこのときから、「試し、改める」スタイルを続けている。
そして、日本一の酒を醸した微生物は、今も藤井酒造の蔵のなかに生きている。
「守るために変える」を繰り返してきた蔵
その後、広島の酒が全国に知られるようになったのは、「軍都」と呼ばれた広島に各地から人が集まり、そこで酒の旨さを知ったからだという。
太平洋戦争中、米不足のため純米酒が禁止されると、3代目藤井善七は龍勢の製造を中止し、「宝寿」を出荷した。
「米は配給制で、流通も限られていた時代です。創業から造っている龍勢の名を封印して別の酒に切り替えることで、龍勢のブランドを守ったのです」と、6代目の義大さんは言う。
4代目と5代目が純米酒の製造を再開し、龍勢を復活させたのは1974年のことだ。
しかし1980年頃、焼酎やハイボールが流行し、日本酒の消費量は低迷し始める。そこで1982年、5代目の藤井善文さんが新市場を拓くために立ち上げたブランドが「夜の帝王」だった。インパクトのある名前は、「どうせやるなら突き抜けよう」という意思の表れだ。これこそが、冒頭の男性が10年間覚えていた酒である。


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