生産に効率を求めるのが定石の現代で、6代目の藤井義大(のりひろ)さんは、なぜその逆を選んだのだろうか。
明治40年、広島の酒が日本一になった
藤井酒造は1863年(文久3年)、広島県竹原市で、初代藤井善七により創業された。
この蔵が造った日本酒、龍勢は、1907年(明治40年)に開かれた「第一回全国清酒品評会」で、全国から出品された2,138点の中から、優等一位に選ばれた。優等二位は広島県呉市・林酒造の「三谷春」だ。
広島の酒は一位と二位を独占しただけでなく、一等から三等にも多数入賞した。入賞率の全国平均は32.8%、灘・伊丹を擁する兵庫県でさえ57.6%であったのに対し、広島は74.4%だった。
品評会の参加者たちは、この結果をすぐには信じられなかった。なぜなら、それまで旨い酒の産地といえば兵庫県の灘・伊丹であり、広島の酒は劣等とみなされていたからだ。
この快挙を支えたのは、広島県賀茂郡三津村(現在の広島県東広島市安芸津町)生まれの醸造家、三浦仙三郎だ。仙三郎は、「百試千改(百回試して千回改める)」の研究の末、広島に適した「軟水醸造法」を確立した。仙三郎の指導により、広島の酒の品質は飛躍的に向上したのだ。


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