通算3085安打のNPB記録を持つ張本勲が86歳で逝去した。この安打記録は、同じ1940年生まれの王貞治の通算868本塁打と並び「アンタッチャブル」な記録である。
張本勲については、筆者は強烈な思い出がある。1975年5月、日生球場での近鉄対日本ハム戦、初回に3番指名打者の張本勲が左打席に立つと、近鉄の応援団長が塩辛声で「はりもとー、お前は悩みを持っている。阪神に行こか、巨人に行こか、迷ってて野球どころではないはずやー」とヤジったのだ。
当時、スポーツ紙には日本ハムの三原脩社長と不仲の張本の移籍は既定路線と言う記事が載り、大阪の浪商出身の張本は「阪神で確定」と言う見出しが躍っていた。一方で、最下位に落ちた長嶋茂雄監督の巨人も食指を動かしているとも書かれていた。当時の日生球場の近鉄戦は、球団発表で3000〜4000人。実際には1000人そこそこしかお客が入っていなかったから、観客のヤジは選手の耳に届く。
打席で「にたっ」と笑った張本は、その刹那、火の出るような安打を打ったのだった。筆者は、華やかな王貞治、長嶋茂雄とはまったく色合いの違う「ヒール(悪役)の存在感」を見せつけられた思いがした。
張本勲の個性の強い打撃フォームに衝撃
翌1976年、果たして、張本勲は2年目の長嶋巨人でプレー。同い年の王貞治との「OH砲」を組んで、最下位からのV字回復優勝に大いに貢献した。
当時の野球中継は、ほぼ巨人戦だけだった。野球ファンの多くは、初めて見る張本勲の個性の強い打撃フォームに衝撃を受けた。バットを頭上に高く掲げた張本は、テークバックを一切取らずにそのままバットを振り下ろすのだ。極めてシンプルだが、そのバットからは広角に安打が飛んだ。
張本はこの年、ずっと打率首位を走っていたが中日の谷沢健一が、最終盤の試合で3安打。谷沢が496打数176安打の打率.35484、張本が513打数182安打の打率.35478、わずか6糸差で、江藤慎一以来史上2人目の「セ・パ両リーグ首位打者」を逃したのだ。


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