有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ライフ

東京―NY親善飛行のために生まれた「A-26」、戦争で極秘訪独機に転じた数奇な運命

13分で読める
数奇な運命をたどったA-26(キ77)(写真:一般財団法人 日本航空協会所蔵)

INDEX

戦前の日本では、東京とニューヨークを無着陸で結ぶ壮大な親善飛行計画が進められていました。そのために開発されたのが、長距離機「A-26」です。しかし国際情勢の悪化と太平洋戦争の開戦によって、その目的は大きく変わっていきます。平和の使者として誕生したA-26がたどった数奇な運命とは――。航空ジャーナリスト・吉田正克氏の著書『外交文書が語る 戦前の国際航空路開拓』より一部を抜粋してお届けします。

A-26の誕生

朝日新聞社が紀元2600年大祝賀行事を航空部内で検討した昭和13(1938)年ごろは、日米関係はそれほど悪くはなかった。従って、昭和12(1937)年に東京―ロンドン間親善飛行を行った「神風」号以降、航空部内の念願であった「東京―ニューヨーク無着陸親善飛行」を朝日新聞社の建国記念奉祝飛行として敢行することは国家的にも日米親善のまたとない企画であった。

これは、社長決裁を受け直ちに実行のための会議が持たれた。そしてこの世界に類のない1万5000kmを無着陸で飛行できる超長距離飛行機の開発研究と基本設計は東京帝国大学(現・東京大学)の附属施設として設立された東京帝国大学航空研究所(以下航研)に依頼することになった。

これは同所の研究テーマにも合致することから問題なく受諾された。

しかし今回の最大の課題は機体の詳細設計と製造であった。「神風」号の時はすでに完成している陸軍の試作第2号機を購入することで解決できたが、今回は設計や製造も含むプロジェクト一切の責任を朝日新聞社が負うということになる。

その際、当然のことであるが一番の問題は、この計画に要する莫大な資金調達であり、その他に機体の詳細設計や製造など、解決すべき具体的な方法が山積した。

そこで、普段から関係が深く昵懇(じっこん)にしている陸軍航空本部を訪問し、この難題を全て陸軍で請け負って欲しいと強引に依頼した。航空本部側でも日頃の付き合いから無下に断るわけにもいかず航空技術本部とも相談した結果、「将来想定される対ソ戦に備えてウラル山脈を越えての遠距離偵察機の研究」という理由を作り朝日新聞社のこの計画を全面支援することにした。

【写真を見る】東京―NY親善飛行のために生まれた「A-26」、戦争で極秘訪独機に転じた数奇な運命(4枚)
2/7 PAGES
3/7 PAGES
4/7 PAGES
5/7 PAGES
6/7 PAGES
7/7 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数