「セ号」飛行搭乗者は、機長を含む3人の陸軍軍人と、軍属として航空本部嘱託の佐官、尉官という身分で徴用された操縦士など5人の朝日新聞社航空部員の計8名が任ぜられた。
ドイツに向かう飛行コースは、ソ連を刺激する事を極端に恐れた東
平和の使途から一転して戦争の悲劇に見舞われた
昭南での現地陸軍との調整などに手間取り、計画より遅れた7月7日、日本時間午前8時に昭南を出発した。この際の飛行ルートはドイツ側には「インド南方洋上を迂回する」と連絡されていたが、昭南出発後の無線連絡は何もなく「セ号」は行方不明となり、「“セ号”機は7月7日08:00(日本時間)昭南を出発せり」という、連絡電報で終わっている。
最終的に英国機に撃墜されたとして乗員8名全て戦死の公報が出された。こうして結果的に訪独飛行は失敗に終わった。
東京ーニューヨーク親善飛行という平和の使途から一転して戦争の悲劇に見舞われたのは本機を企画した朝日新聞社にとって痛恨の極みの出来事であった。
この遭難からしばらくたって、陸軍航空本部から「敵戦闘機の不意の攻撃を受け火達磨となって墜落戦死」
という戦死認定の公報が出され、乗員全体の葬儀が陸軍航空本部葬として盛大に行われた。


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