このような民間の要請も受け入れられる当時の陸軍予算の潤沢さは、現在の日本では想像もできない驚きであろう。しかし、陸軍では昭和13(1938)年、極秘のうちに将来想定される対ソ連戦対策を考じていた。
満洲から発進してバイカル湖を越えてソ連奥地の戦略偵察を行うことを目的とした遠距離偵察機キ74と、そのため高高度研究機SS-1の発注を立川飛行機に行った。またその機体に使用する発動機を中島飛行機に発注しており、亜成層圏を飛行する超長距離機製造計画への協力は十分価値のあるものであった。
“長距離飛行機建造、成層圏飛行に挑む”
そして時は昭和15(1940)年、大日本帝国にとっては神武天皇即位2600年に当たる記念すべき特別なお祝いの年であった。大陸での戦火が拡大する中、東京オリンピックや万国博覧会などが大陸での戦争激化(当時は支那事変といった)の影響があり、中止せざるを得なったとはいえ、世は様々な催しで祝賀ムードに溢れていた。
そこで「奉祝2600年記念大飛行長距離機建造」第一回の官民合同会議が昭和15(1940)年2月8日に、朝日新聞社、陸軍航空技術研究所、航空本部、と基本設計を担当する航研のお歴々が集まって、帝国ホテルで盛大に開かれた。
この会議の結果、機体エンジンの基本計画は航研内に作られた「官民委員会」に、設計製作の実務は陸軍航空本部の指示で、キ74の試作を発注した立川飛行機に決定した。そして建国記念の祝日2月11日紀元節の朝、東京朝日新聞に控えめな大きさで掲載された社告に「おや?」と思った読者は多く居た。
以下その社告の内容である。
長距離飛行機建造、成層圏飛行に挑む”
本社は紀元二千六百年の栄えある好機に接し記念事業の一つとして世界最高水準を目指す“長距離飛行機”の建造を計画し、世の権威者参集のもとに機體の設計に着手する事になった。同機の製作には最近の世界的の航空界に於ける新しい宿題の一つである成層圏飛行の利点と目されるところを取り入れて長距離飛行の気象的な好条件と高空に於ける飛行速度の向上を目指し成層圏飛行に進む一つの段階としての高空飛行の達成にも何らかの寄与するところあらんことを期待するものでこれが完成に要する日子は相当長きに亘りその設計製作には多額の費用を要するのであろうが本社は凡ゆる困難を排してその完遂に邁進するものである。なお、本計画の詳細については追って逐次発表する。
朝日新聞社
この掲載された同じ紙面には、「米の大建艦案を帝国海軍万全」等の国会論争記事が大きく占められており、3年前に行った「神風」号の壮挙に比べて具体的な内容も不明であったので、それほど国民の耳目を惹くものではなかった。


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