有料会員登録 東洋経済オンラインとは
ライフ

東京―NY親善飛行のために生まれた「A-26」、戦争で極秘訪独機に転じた数奇な運命

13分で読める
数奇な運命をたどったA-26(キ77)(写真:一般財団法人 日本航空協会所蔵)
2/7 PAGES
3/7 PAGES

しかしこれは朝日新聞社としては苦渋の決断であった。

つまり、社内では紀元2600年記念事業として「神風」号に続く歴史的大飛行の快挙として決定された東京―ニューヨーク間無着陸飛行での親善飛行を決行!!という企画を派手な記事にしたかったのが本音であったと想像される。

しかし、昭和14(1939)年7月にアメリカから日米通商航海条約破棄の通告を受け、また欧州では第二世界大戦勃発など国際情勢は日ごとに悪化し「東京―ニューヨーク無着陸親善訪問飛行」の公表は不可能と判断せざるを得ない時局となった。

加えて大スポンサー帝国陸軍の意向も忖度して内心忸怩(じくじ)たる思いの不本意な社告であったに違いない。ただし内部的には「紀元2600年奉祝東京―ニューヨーク無着陸親善飛行」として朝日新聞社、東京帝国大学航空研究所、陸軍航空本部3者の共同プロジェクトとして発足した。

そして朝日新聞社から基本設計を担当する航研に提示した基本設計の要求は、

1. 航続距離1万5000キロメートル以上、東京―ニューヨーク間無着陸飛行が出来る事。
2. 巡航速度300キロ/時前後。
3. 離陸滑走距離1000メートル内外であること。
4. 将来、実現を予想される成層圏輸送機の予備研究資料を得る為、高度6000メートル程度を巡航できる装備を持っている事。
5. 航法、維持点検の見地から航研機より実用的な要素を強める事。

と極めて高いものであった。

明るい希望を持って製作が続けられたが…

そこで、航研では機体、エンジン、材料、計器等の各部門の専門家が参加した「技術査問委員会」が設けられ、この委員会で設計の基本方針をまとめ、詳細設計と機体製作は全面的に立川飛行機、エンジンは中島飛行機が担当することになり、この飛行機の名前も朝日新聞社のAと紀元2600年の26を組み合わせ「A-26」と決まった。

また、この機体にも「ロ式B型」の高高度飛行に関する研究と実用試験の結果が取り入れられることが期待され同機と同様に「航2」と呼称されていた(航1は「航研機」)。基礎設計は昭和15(1940)年3月ごろから始まり、1年間で約3000枚の図面が引かれ、昭和16(1941)年春から立川飛行機で実機の製作が始まった。

4/7 PAGES
5/7 PAGES
6/7 PAGES
7/7 PAGES

こちらの記事もおすすめ

あなたにおすすめ

ライフ

人気記事 HOT

※過去1ヶ月以内に配信した記事の閲覧数