やっと掴んだ大阪の仕事を手放すことにはなったが、久保さんが選んだのは父との時間だった。余命宣告から約1年が経った1995年12月。父が亡くなった時にあふれたのは「最期はずっと一緒にいられてよかった」という思いだった。
カセットテープ1本で掴んだ、静岡での再スタート
父の死後、残された母のことを考え、静岡で仕事を探すことにした。コネもツテもない状態からのスタートだったが、活動のさなかに出会った知人から、静岡のラジオ局K-MIX(静岡エフエム)のパーソナリティの仕事を紹介され、すぐに応募した。
大阪時代のラジオ番組を収録したカセットテープを持って「私はこういう感じでしゃべっていました」と伝えた。すると担当者から「面白いね」と言われ、その場でオーディションに誘われる。そして1996年4月、故郷の静岡でラジオパーソナリティとして仕事を再開した。
次は、テレビだ。K-MIXのラジオ番組が始まってまもなく、今度はテレビ番組のリポーター募集の知らせを受け、オーディションを受けた。そして同年の秋頃から、リポーターとして地上波デビューを果たす。その番組こそが、30年経った現在もレギュラー出演している『まるごと』(静岡第一テレビ)だ。
「当時は静岡のメディアがここからっていうタイミングだったのか、トントンと仕事が決まったんですよ。運もあったと思うんですが、やっぱり大阪で仕事をしていたのが大きかったですね。雑談ひとつとっても、何か言われたら返さなきゃいけない土地柄で鍛えられました。あの頃の経験がなかったら、多分、今の私はないと思います」


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