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アジア太平洋戦争を記録した日本人技術者・小松真一…彼の絵日記をフィリピン人はどうみたか

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小松真一が収容所で描いた絵日記の1つ。片目と片腕を失った日本兵にアメリカ兵がコーヒーを差し出す場面(写真:虜人日記博物館提供)
  • 柴田 直治 ジャーナリスト、アジア政経社会フォーラム(APES)共同代表
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会場を訪れた人々に感想を聞いた。

日系4世ラモン・アフェブレ(33)は、横浜市で5月に個展を開いて帰国したアーティスト仲間のニコル・ファーン(31)とやってきた。曾祖父が戦前に北部バギオに入植し、戦時中に軍属として徴用されて終戦後に日本に送還されたものの50年代にフィリピンに戻って事業を興したという。

アフェブレは「親戚から戦前や戦中の話を聞く機会は多くなかったので自分のルーツを知りたいと思った。学校では戦時中の日本は悪者と教えられてきたが、今回の展示に触れて小松の人間性を感じるとともに敵味方に分かれても同じ人間が戦っていたのだと実感した」と話した。

日系4世のラモン・アフェブレ(右)とアーティストのニコル・ファーン(撮影:柴田直治)

日本軍が42年4月、アメリカ人捕虜や現地住民を炎天下の下で100キロ以上歩かせ多数の死者を出した「バターン死の行進」で3人のおじを失ったというベレン・ポンフェラダ・ティルケル(65)は、かつての激戦地レイテ島で、マッカーサー率いるアメリカ軍が反攻の拠点として上陸した様子などを紹介する博物館の仕事に携わっている。

今回、日本人の手による多くの絵画や日記が残されていていたことに驚き、「アメリカ軍が日本からフィリピンを解放したというストーリーとは違う視点を提供してくれた。貴重な機会だった」と関係者に謝意を示した。

おじ3人を「バターン死の行進」で亡くしたベレン・ポンフェラダ・ティルケル(撮影:柴田直治)

フィリピン最南部、スールー諸島ホロ島出身の弁護士アルグエン・サヒファン(29)は通信会社に勤める技師のニール・ダリル・スリット(29)と会場を訪れた。ホロ島では立てこもった日本軍がアメリカ軍に殲滅され6000人が死亡したとされる。残虐とされた日本軍兵士だが、地元では日本人の違った面も語られていたという。

「日本人、アメリカ人、そしてフィリピン人によって語られる物語はそれぞれ違うことが展示や講演を通して理解できた。どこにいて何を経験したかによっても見方は異なるだろう。歴史は繰り返すことを肝に銘じる必要がある。心を開き、偏見を持たず、戦争を防ぐ。われわれ世代に求められることだと思う」と話した。

ホロ島出身の弁護士アルグエン・サヒファン(右)と技師のニール・ダリル・スリット(撮影:柴田直治)

会場には展示の感想を書き込んだメッセージボードがあった。

「貴重な記録を残してくれてありがとう」「一瞬一瞬を心に焼き付け、やがてそれは思い出になり、後にはただ胸を打つ感情が残る」。厳しいコメントを見かけることはなかった。

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