今回の生成AIもその延長上にある。ただ、今回が際立って違うのは、その速度です。かつてのイノベーションは数十年のスパンで起きていましたが、生成AIは数年どころか、数カ月の単位で社会を変えています。
「データマン」の仕事がなくなる日
AIが最も得意とするのは、情報収集と整理です。かつては「データマン」あるいは「リサーチャー」と呼ばれる、情報収集専任の記者やスタッフが出版や放送の現場にいました。特定のテーマについて膨大な資料を集め、必要な事実を取り出して、執筆者や出演者に提供する。その仕事は高い専門性を要するものでした。
しかしいまや、ChatGPTは参考文献の出典リンクを末尾に貼り付けながら、瞬時に情報を一括で提供してくれます。私が知り合いのライターさんに聞いたところ、「取材相手の下調べにAIをよく使いますね」とのことでした。ウィキペディアが出てきたとき、「初めて会う人の基本的な背景を知るのに便利」と感じたあの感覚が、さらに精度高く実現されている、ということです。
では、データマンの仕事はもう不要なのか。そう単純ではありません。AIが提供する情報は、ネット上に存在するデータに依存しています。だから、現場で人と話すことでしか得られない「生きた情報」は、まだAIには入手できません。しかし「一般的な調べ物」という意味では、データマンの仕事の相当部分がAIに移っていくことは間違いないでしょう。
同じことは、翻訳・通訳の世界でも起きています。英語を日本語に翻訳する専門家たちは、かつて英文科の大学院生に下訳をさせていました。英語の原文を日本語に直す大まかな作業を大学院生が担当し、そこに翻訳家が磨きをかける。その過程が、次世代の翻訳家を育ててきた「修業の場」でもあったのです。
ところがいま、多くのプロの翻訳家がまずDeepLで下訳を作り、それをChatGPTでさらにチェックするという方式に切り替えているといいます。
大学院生への発注はなくなった。すると将来の名翻訳家を育てるはずだった訓練の機会が、消えてしまう。文字起こしというライターの修業もそうです。かつては何度もテープを巻き戻しながら一字一句書き起こす作業が、文章を構成するセンスを磨いてくれた。その工程がAIによって飛ばされてしまう。
AIは便利です。しかしその便利さが、「若い人が実務を通じて成長する機会」を奪ってもいる。私たちはいま、その過渡期の真っ只中にいます。
もう1つ、私が深刻に受け止めているのは、AIへの情報操作という問題です。


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