それがウィキペディアの登場で変わり、ウェブ検索が普及してさらに変わり、いまやChatGPTやCopilotが検索の前に答えを返してくれるようになりました。私自身、最近はCopilotがパソコン画面に自動で表示されるようになっていて、知らない用語が出てきたときには、まずそこで「要するにこういうことなのか」という全体像を掴むようになっています。
かつては、英語の論文を書く際に一生懸命和文英訳をしていた研究者も、いまやまず日本語で論文を書いて、翻訳ツールのDeepLで英文にし、さらにChatGPTでチェックする――というやり方が当たり前になっているそうです。
私がある先生からそう聞いて「えっ」と驚いたのは、それが東大の著名な研究者の話だったからです。同僚の先生もみんなそれをやっている、と。
すると、英文を精読し、和文英訳を繰り返すことで鍛えられてきた「語学力」はどこへ行くのか。資料を探し出す「調査力」はどこへ行くのか。技術が便利になるたびに、何かが失われてきた。それがいま、格段に速い速度で起きています。
AIによって「自分で自分の首を絞める」グーグル
少し前まで、何かわからないことがあればグーグルで検索するのが習慣でした。しかしいまや、グーグルで検索しようとするとブラウザに生成AIのCopilot画面が先に現れ、答えを出してくれます。私もいつの間にか、最初にCopilotで「要するにこういうことか」という全体像を掴み、そこから必要に応じて詳しく調べるというやり方になっています。
パソコンで何か調べようとしても、もはやブラウザを開く前にAIが答えを出してしまう。そうなると、グーグルを経由して各サイトを訪れる人が減っていきます。
グーグルの収益モデルは、ウェブサイトに広告を表示して、そこにアクセスしてもらうことで成立しています。AIが「答えをまとめて提供する」ようになると、個々のウェブサイトに人が流れなくなる。これはつまり、グーグルがAIを育てることで、自分のビジネスの根幹を揺るがしているということです。
グーグルは自分で自分の首を絞めているのではないか。そんなことを思いながら、技術革新というものが常に「既存の価値を壊しながら進む」ものだと実感します。印刷技術が登場して写本業者が打撃を受けたように、自動車が登場して馬車業者が消えたように、テクノロジーは常に何かを不要にしながら進化してきました。


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