「教養ブーム」の危うさ
山口:過去の歴史を振り返ると、知的生産というテーマに関連して定期的にやってくるのが、いわゆる「教養ブーム」というやつです。最近でも、某ビジネス雑誌が「リベラルアーツ特集」を組んでいましたけど、ちょっと危ういなという気もするんです。
なぜなら、「教養」というのは一種の逃避になる可能性があるからです。ビジネスパーソンに当てられるモノサシの筆頭は「仕事ができる、できない」ですね。先に出した楠木先生との共著も『「仕事ができる」とはどういうことか?』というタイトルで、まさにこの問題を扱ったわけです。
で、あらためて考えてみると、現在の社会では「仕事ができない」というのは最後通牒のようなところがあって、そう言われてしまうと、もう本当に立つ瀬がない。「仕事ができる、できない」で、世の中を二つに分けると、救われない人がかなり出てきちゃうわけです。ところがここに「教養がある、ない」という、二つ目のモノサシを持ち出すと、救われない人が「一発大逆転のマウント」を取り得る可能性が差し出される。
「仕事ができる、できない」という縦軸と、「教養がある、ない」という横軸で組み合わせると、「仕事はできない」だけでは救われなかった相当数の人が「仕事はできない、けど教養はある」というポジションをとって、「仕事はできる、けど教養はない」という人に対してカウンターを打てる。
加えて指摘すれば、「仕事ができる」はかなりの程度、センスに依存するわけですが、「教養がある」は努力に依存するので、頑張ればそれなりに取り得るポジショニングなわけです。


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