楠木:断片的な知識が因果関係についての論理でつながって、しかも次の思考のために作動可能な状態になっているもの、ですね。
山口:そう、だからアプリカブル(適用可能)になるわけですよね。知識を入れているだけだと、限定的な局面でしか使えません。
「知識が知識のまま出てくるのはアウトプットではない」
楠木:周さんの言う「教養マウント」や「知識マウント」は、ひたすら「ストレージを大きくすること」を目的にしてしまうということですね。「俺の倉庫を見に来いよ、すげーぜ」みたいな。
山口:そうですね。そして、その「巨大な知的倉庫を脳の中に作ろう」という誘引を駆動する、憧れ用語としてあるのが「博覧強記」ということだと思います。
楠木:実際にびっくりするほど博覧強記の人はいますからね。
山口:「あの人は博覧強記で」と言われると嬉しくて仕方がない。知的な努力の方向性が、「知的生産のパフォーマンスを上げる」という方向ではなく、「あの人は博覧強記」という自己ブランディングのほうに向かうと危険ですね。会議や会食の場で「シェイクスピアのリア王にこういうセリフがあって」と言いたくて、やたらとシェイクスピアのセリフを暗記するとか。
楠木:暗唱できちゃう。
山口:こういう場合では、ストレージされた知識がある種のファッションというか、スノッブを気取るためのフリルになってしまっているわけですね。
楠木:知的生産において重要なのは、「知的」よりもむしろ「生産」です。生産するアウトプットの価値にこだわる必要がある。そこが抜け落ちると、どんどん趣味化してしまいます。
山口:「知識が知識のまま出てくるのはアウトプットではない」ということですね。



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