同時に、立場や経験の異なる人々が、それぞれの歴史や背景を知り、お互いの「正義」だけでなく、相手がなぜそのように考えるのかにも耳を傾ける必要がある。歴史の中で「正義」とされていた行為が、現在の価値観から、正当化できないこともあるだろう。一方で、現在の価値観から過去を裁くこと自体が、当事者の尊厳を傷つける行為だと受け止める人もいる。
もちろん、すべてを理解し合えるわけではない。同じ歴史認識にたどり着くことも難しいだろう。それでも、異なる歴史や経験が存在することを認めたうえで、対話を続けることには意味があるのではないだろうか。その意味において『波の音色』は、台湾社会で近年活発になっている、過去を多面的に捉えようとする議論を象徴する作品と言える。
制作陣「反日ドラマ」と受け止められないか不安
この作品が公開された2024年、筆者は台湾に滞在しており、作品を制作した台湾公共電視(PTS)の関係者や監修を務めた歴史研究者らと話をする機会があった。その時、彼らは私の顔を見つめながらこう尋ねた。
「日本の人たちは、この作品をどう受け止めると思いますか?」
彼らがまず知りたかったのは、日本人がこの作品を単なる「反日ドラマ」と受け止めるのか、それとも歴史と向き合うための作品とするのか、ということだったのだろう。実際、作中に登場する日本人の多くは現代の日本人が容易に感情移入したり、共感したりできる人物として描かれていない。
出演者の中には筆者の知人も何人かいるが、作品を見た後に食事をする機会があり、顔を合わせた瞬間、作中の役柄の印象があまりにも強烈だったので、一瞬身構えてしまったほどだった。それほど、日本人の役者たちも主人公である台湾人の三人の兄弟たちも素晴らしい演技だった。
製作者や研究者との対話の中に、日本を一方的に責めようとする姿勢は全くなかった。むしろそこにあったのは、自分たちが描いた物語が日本でどのように受け止められるのかを知りたい、そしてこの作品をきっかけに、台湾と日本が共有する歴史について率直に語りあい、どのように向き合って行くのか一緒に考えたいという静かな期待だった。
私たち日本人は、この台湾からの問いにどう向き合えるだろうか。その問いは簡単ではない。
簡単に「和解が必要だ」と言われる。しかし、「和解」とは一体何を意味するのだろうか。過去を忘れることなのか。それとも、誰かが一方的に謝罪し、もう一方がそれを受け入れることなのか。


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