『波の音色』が公開されたのとほぼ同時期に台湾ではもう1本、戦争をテーマにした話題作が公開された。ドキュメンタリー映画『島から島へ』(原題:『由島至島(From Island to Island)』)である。
この作品は、第2次世界大戦中に日本帝国の一員として戦争に動員された台湾人の経験を、証言や家族の記録、未公開映像などを通して描き出した長編ドキュメンタリーである。『波の音色』が戦後に裁かれた捕虜監視員の葛藤を描いた作品だとすれば、『島から島へ』は、日本側に立ったという事実が、その後の家族や子孫の人生にまで影を落とし続けた現実を映し出している。
特に印象に残ったのが、戦前にマレーシアのペナンで音楽家として暮らしていた台湾人・楊樹木の家族の物語である。日本軍憲兵隊の通訳となった楊は戦後処刑され、その後も家族は地域社会の厳しい視線にさらされ続けた。
戦争犯罪者の家族として終わらない「戦争」
孫の楊炳煒は、祖父が亡くなった後に生まれたにもかかわらず、「お前の祖父が何をしたか知っているのか」と問いかけられながら育ったという。戦争は終わっても「戦争犯罪者の家族」の烙印は消えなかった。家族にとって、戦争は終わっていなかったのである。
幸運なことに、私は、監督の廖克発氏と、この映画に登場するサイモンさんこと楊炳煒氏に台湾のシンポジウムで会う機会を得た。映画の中で、サイモン氏は、自らの家族の歴史を淡々と語っていた。しかしシンポジウムでは、母親や兄弟のことを語るうちに、言葉を詰まらせ、涙を流した。その姿を前に、私は何と声をかければよいのか分からなかった。それでも、話しかけなければと思った。
私は、日本から来た研究者であることを伝えた。そして、「私が謝罪する立場ではないのかもしれません。それでも、本当に申し訳ありませんでした」と伝えた。
日本人を代表しているわけでもない。私が謝ることは、ひょっとするとおこがましいことだったのかもしれない。それでも、その場ではそう伝えずにはいられなかった。
サイモン氏は私の手を静かに握り、こう尋ねた。「あなたは、マレーシアに来たことがありますか」。
「まだありません」と答えると、彼は穏やかな笑顔で言った。
「我が家で一緒にご飯を食べましょう」。
私はその言葉を忘れることができない。
「和解」とは何か。その問いに簡単な答えはない。ただ、互いの歴史や痛みを知ったうえで、それでも同じ食卓を囲もうとすることーーその小さな約束の中に、『波の音色』が日本社会に投げかけた問いのヒントがあるように思えた。


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