フジテレビや日本テレビも当然、社員やスタッフの人権を守らなくてはならない。しかし、NHKはそれに加えて「公共放送」という看板を掲げ、社会の不正を監視し、人権問題を報じ、視聴者に説明責任の重要性を説いてきた。その組織には、自らが報道対象に要求する倫理基準を、自分自身にも適用する義務がある。
しかもNHKの財政基盤を支えるのはスポンサー企業ではなく、広く国民から集める受信料である。だからこそ「スポンサーが撤退しないから経営は大丈夫」という市場の論理では済まない。制度そのものが、公共放送は信頼に値するという国民の社会的合意によって支えられているからだ。
被害者保護の教訓が生かされなかった
今回露呈したのは単なる性被害事件ではない。被害者を守るより人事上の原則を優先したこと。性被害への理解が乏しかったこと。問題が速やかに組織全体で共有されなかったこと。加害行為をしたとされる出演者について十分な説明がなされていないこと。そして、過去に山口達也をめぐる重大事件を経験していながら、その教訓が今回の被害者保護に生かされたとは到底言いがたいことだ。
フジテレビ問題で露呈したのが、芸能人との近すぎる関係や接待文化というテレビ局特有の病理だったとすれば、今回の事案から見えてくるのは、それに官僚主義と閉鎖性が重なった別種の病理である。
公共放送であるNHKに求められているのは、自ら社会に説いている倫理を、自分自身にも厳格に適用することなのだ。


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