実は僕自身も同じようなことがありました。僕は2浪した人間ですが、そういえば受験の手続きって、親にやってもらった記憶がないんです。
願書の取り寄せ、記入、振り込み、郵送。ぜんぶ自分でやりました。
「あんたの受験だろ」。親からはそう言われていたんですね。当時は正直、「めんどくさいな」「親がやってくれたらいいのに」と思っていました。周りの友達を見ると、親が全部やってくれている家も多かったですから。
でも、今振り返ると、あれは本当によかったなと思うんです。だって、自分で願書を書いて、自分で振込用紙を握りしめて銀行に行くと、「これは自分の受験なんだ」という実感が、じわじわと湧いてくるんですよ。誰かに受けさせられているんじゃない。自分が受けるんだ、と。
浪人生活は正直しんどかったですが、その「自分ごと感」があったからこそ、最後まで走り切れたんじゃないかと思っています。もし親が全部お膳立てしてくれていたら、途中で「なんで俺こんなことやってるんだろう」となっていたかもしれません。
「言葉で伝える」と「手を動かさせる」の違い
ここで大事なのは、「主体性を持ちなさい」と言葉で伝えるのと、実際に手を動かさせるのとでは、まったく違うということです。
「あなたが自分で決めたことでしょう?」
こう言われて、素直に「はい、私が決めました」と受け止められる子どもって、どれくらいいるでしょうか。むしろ「そんなこと言われても……」と反発したくなるのが人間だと思います。
でも、自分で紙に書いて、自分で提出したという「事実」があると、話が変わります。「私が書いたんだよな」という記憶が、体に残るからです。これは心理学でも指摘されていることで、人は自分の行動を後から観察して、「自分はこう考えているんだ」と認識するところがあります。つまり、行動が先、認識が後なんですね。


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