ある東大卒の新人が、上司から「この件、軽く調べておいてくれる?」と頼まれます。
彼はその日から、本気を出します。ネットで一次情報を漁り、関連論文にまで手を伸ばし、業界の統計データを整理し、パワーポイントで見やすい資料に落とし込む。3日後、彼は自信満々に上司のところへ行くわけです。
「調べてきました!」と、A4で20ページの完璧なレポートを差し出す。ところが、上司の顔は、なぜか曇っている。
上司が求めていたのは、「30分で書いた箇条書き3行」だったんです。
会議までのちょっとした前振りに使いたかっただけ。それが3日後にA4で20ページ出てきても、もう会議は終わっている。しかも、その3日間、彼は本来やるべき別の仕事に手をつけていない。
上司の心の中には、こんな言葉が浮かびます。「難関大を出てるのに、なんで“軽く”が伝わらないんだ?」と。
新人のほうを擁護すると、「軽く」という指示のほうが曖昧すぎるとも思います。5分なのか、30分なのか、半日なのか、3日なのか。「軽く」の解像度は、上司と部下でまったく違うからです。
ですがこの、「軽く」とか「なんかいい感じに」とか「うまくやってくれ」という指示が社会においては多いのも事実です。
そして、これまで受験勉強で勝ってきた人ほど、この「解像度のズレ」でパニックになります。
高学歴人材が職場でつまずく理由はおそらく、彼らが「正解が1つの世界」で、ずっと勝ってきた人たちだから、なんだと思います。
受験勉強は「正解が1つ」の世界だった
受験勉強を思い出してみてください。数学の問題には、必ず答えがある。歴史の問題にも、必ず答えがある。しかも、その答えは、自分の外側――教科書や参考書、解答集――に、はっきり書かれている。自分がやるべきことは、その「答え」に自分の解答を近づけていくことだけ。
高学歴の人たちは、この作業を、10年以上ひたすら繰り返してきた人たちです。「答えは必ずあって、その答えに向かって100点を目指す」というルールで、勝ち続けてきた。
ところが、社会に出た瞬間、このルールが跡形もなく消えます。
「軽く調べておいて」の「軽く」に、正解はありません。「いい感じの提案書にして」の「いい感じ」にも、正解はありません。
「あのお客さんに合う商品を考えて」の「合う」にも、正解はありません。正解は、自分の外側の教科書ではなく、目の前の相手の頭の中にあるんです。
そして、その相手だって、自分が何を欲しいのか、はっきりと言語化できていないことが多いです。
これまで「答えを探す名人」だった高学歴人材にとって、これがどれほどキツいか、想像できるでしょうか。答えのない世界に、突然放り込まれる。
しかも、その事実を誰も教えてくれないのです。


※ログイン後、コメント入力が可能です。