学習科学の世界には、有名な話があります。インプット量が多い人よりも、何も見ずに、ヒントもなしに、必死にアウトプットしている人のほうが、成績が上がりやすい、という研究結果です。
塾で丁寧に教わり、参考書を大量に買い込む恵まれた受験生よりも、「教わる人がいないから、わからないまま自分の頭でひねり出すしかない」清野さんのような受験生のほうが、実は思考のエンジンが強靭になっていく――少し逆説的に聞こえるかもしれませんが、僕はそう感じています。
「わからない」を、すぐに他人の答えで埋めない。「わからない」を抱えたまま、しばらく自分の頭でうろうろしてみる。この「わからないに耐える時間」こそが、思考力そのものを鍛える栄養になっているのです。
「死ぬかもしれない」で勉強する人の爆発力
そしてもうひとつ。「自分の人生がかかっている」という切迫感――もっと言えば、「これに落ちたら本当に死ぬかもしれない」という感覚で受験に臨む人と、そうでない人とでは、爆発力がまるで違います。
清野さんの場合、それは比喩ではありませんでした。彼にとって東大合格は、家族の運命そのものを変える一手だったのです。「わからなさ」の重みも、そこに向き合うネガティブ・ケイパビリティも、僕たちの想像を超えるレベルで試されていた――そう考えると、彼の合格がどれほどの深さを持ったものかが、少し見えてくる気がします。

