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「妻の一言が私をミャンマーへ導いた」外交官人生・元駐ミャンマー大使が語るスーチー氏や軍政、日本人の知られざる歴史

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当時、ビルマ軍政の実力者の1人チョウ・ウィン大佐と丸山氏(中央)、枝美子夫人(写真:丸山市郎氏提供)
  • 西垣 充 ジェイサット(J-SAT)代表
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企業にも本人にもそれぞれ異なる事情があるため、一概に将来像を示すことは難しいでしょう。しかし、1人ひとりの状況に応じて、どのようなキャリアを築いていけるのかを共に考え、私自身もできる限り個別にお手伝いしていきたいと考えています。

――最後に、今後日本はミャンマーとどのように向き合い、関係を築いていくべきでしょうか。

日本では、ミャンマーと日本が戦争を通じてどのように関わってきたのかを直接学ぶ機会はほとんどありません。一方でミャンマーでは、日本との歴史を知っている方がほとんどです。

長らくの親日国・国民1人ひとりの心に寄り添って

まるやま・いちろう/1953年生まれ。中央大学卒、外務省入省。81年に在ミャンマー日本国大使館、85年に日米安全保障条約課、南東アジア第一課、92年に在ミャンマー日本国大使館、97年に在米国日本国大使館、2002年に在ミャンマー大使館、06年に外務省総合外交政策局外交政策調整官を経て、11年7月より在ミャンマー日本大使館の公使参事官を務める。18年3月、外務省専門職出身者としては異例の駐ミャンマー日本国特命全権大使に就任。24年9月に退任した(写真:筆者撮影)

先の戦争において、日本がミャンマーの人々に多大な迷惑を与えたことは、決して忘れてはならない事実です。それにもかかわらず、戦後もミャンマーの人々は日本に親しみを持ち、両国は友好的な関係を築いてきました。

ミャンマーは東南アジア諸国の中で、戦後の日本と最も早く平和条約を締結した国の1つです。また、終戦後の深刻な食糧難の時代には、10年以上にわたり、日本へ米、いわゆる「ビルマ米」を送り続けてくれた国でもあります。

日本とミャンマーの間には、私たち日本人が忘れてはならないこうした歴史があります。

そのミャンマーでは今、多くの若者がさまざまな事情から日本で働き学ぶことを選択しています。日本政府だけでなく私たち日本国民も、なぜ多くのミャンマー人が日本に来ているのか、その背景を理解し、彼らをどのように受け入れていくのかをつねに考えていかなければならないと思います。

日本とミャンマーの関係を考えていくうえで最も大切なのは、ミャンマーの方々、そして国民1人ひとりの気持ちに寄り添うことです。その視点に立って、これからの両国の関係を築いていくべきだと私は考えています。

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